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タンク車

鉄道の貨車にタンク車というのがある.小学校の頃の放課後のお楽しみは,最寄り駅での貨車の入替作業であった.当時は駅というと旅客だけで無く貨物も扱っており,最寄り駅での最大の出荷物は石油類であった.

こういう写真のような貨車が駅構内にたむろしており,中央上部からガソリンだか灯油だかが注ぎ込まれているようであった.これよりも大きなタンク車もあり,その貨車の車輪は3軸(下の写真は2軸)だったことを覚えている.

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どこまで運んでいたかは定かでは無いが,コンテナ以外の貨物列車がほぼ絶滅状態である昨今でもタンク車の貨物列車は健在で海岸部から内陸部へと石油類を運ぶ際に活躍している.4年前の大震災でも道路網が寸断された際にタンク車の貨物列車が活躍したことは有名.

さて,上の写真のタンク車はお腹がテップリとしたタイプで約43トン積みであり,自動車のタンクローリー換算,概ね1台半といったところ.

いっぽう,北米で見たこのタンク車は,一見小柄に見えるが総重量約100トン,積み荷は約85トンで,上のタンク車の倍詰めたようである.(油用では無く,酸性の液体用?)

 

Freight07-016重量物も,もっと鉄道が活用されてもいいと思うんだがなぁ.CO2何%削減することになったんだったっけ?

フルカ峠トンネル

かつては北陸トンネルが(狭軌で)世界最長のトンネルであったが,その記録を塗り替えたのがスイスのフルカ峠トンネルである.

これがその入り口.

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単線のトンネルで約15.4kmあるので,途中で行き違いができる設備がある.仙山線の面白山トンネルとか,ほくほく線のトンネルのようなものである.

DSCN6059このトンネルの興味深いところは,真上の峠道の交通量を減らして環境への影響を少なくするべく,トンネル区間を通過するカートレインが運行されていることである.

東海道新幹線では無理だが,日本の新幹線でも列車本数の少ない区間だとこういったカートレインの運転というのはありなのかなと思う.

 

UNION PACIFICの貨物列車

脱線ポイントの近くで待っていると,来た来た.

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通過に要した時間,約10分.機関車3両+貨車70両.まぁ,短めだな.

Canadian Pacificとか,CN (= Canadian National)の文字が書かれた貨車があったり,積み荷が木材の貨車が多かったのでカナダから来た貨物列車かな.

脱線ポイント

珍しい分岐器をご紹介.

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脱線ポイントである.目的は,列車を脱線させること.もちろん事故を発生させることが目的なわけではない.

設置箇所はこんな感じ.

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この先,鉄橋を渡るとともに,鉄橋上で本線に合流するため,信号を無視して衝突する列車があると,事前に列車を故意に脱線させて小事故で済ませようという,そういう目的の装置である.まぁ,安全側線のようなもの.

(米国ポートランド)

火薬工場の引込線

JR木幡駅から線路に沿って北方に緑道が続く.元々は戦争中の火薬工場への引き込み線だったようである.この手の引き込み線は京都大阪間にいくつかある.木幡,祝園,津田,星田等々.いずれも航空写真でよく見ればそれっぽい廃線跡が見える.

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JR駅からしばらくは緑道という緑に囲まれた歩道が続く.

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数分歩くと,緑道は終わり…

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右に曲がると例の「渡ったら死ぬで」の赤道の踏切もどき.左方向には人工的な堤が続く.

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堤上を歩くと,2-3分歩いただけで行き止まり.「○○がありません」だそうだ.橋?

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いったん堤を下りて,やや西へ.府道をまたぐ部分には橋が残っている.

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ここから再び堤の上へ.JRの線路の方を振り返るとこんな感じ.橋の上は土と草で覆われている.

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さらに西に進むこと,ほんの少し.すぐに行き止まり.

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京阪電車を越える部分の橋が撤去されているので,探検ごっこはここで終わり.

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この先は道路化されているようである.

立派な駅のホームを貨物列車が通過

日本の駅のホームで待っていると,ホームを貨物列車が通過して行くことがある.例えばこんな感じ.

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この風景に慣れているとあんまり違和感ないのだが,フランスとかドイツの駅で待っていて,貨物列車が旅客ホームを通過して行く光景にあんまりお目にかかったことがない.もちろん,皆無ではないのだが,あまり旅客ホームを通過することは無いように思う.

旅客駅とは別線で貨物線があったり,駅の奥側に貨物用の留置線兼通過線があったりで,旅客の目の前を通過することはあまり無いような気がする.安全上の配慮だろうな.

#コンテナの台車だらけの回送列車なんかがホームに停まっていると,乗ってみたくなるよね.(でも,時々ほんとに乗って捕まってる人いるけど.)

線路切替えなので振替えられてみた(鴫野駅編)

JR学研都市線の放出-京橋間で大規模な線路切り替え工事があるので,3/28(土)の夕方以降,終電まで区間運休である.ということで,切り替えられる前に旧線を乗ってみて,運休になったらわざわざ振り替え輸送されてみることにした.(暇人か,と言われれば,そうかもしれない)

今回の切り替え工事は,鴫野駅の南側ホームのこの線路を,新しく出来たホーム側の線路に移設する工事のようである.同じようなことを考える人は多いので,鴫野駅のホームはカメラ小僧(というか,カメラオジサン)だらけである.鴫野駅のホーム上でこの工事現場担当の知り合いの方とすれ違ったような気がするが…気のせい?

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工事が大がかりな原因の一つは,この分岐器関係かな? 最終的には貨物列車はおおさか東線だけを走ることになると思うので,片町線上のこの分岐器は不要になると思うが,東線が完成していないので,貨物専用の分岐器も仮に設置しなければならない,ということかな.

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ここ(↑)で分かれて,現在線のこの分岐器(↓)を取っ払って,現在の渡り線につなぐのかな.大変そう.

IMG_1020そして,新線は新しく架けられた橋を渡って,現在線に合流.この部分も一夜にして切り替え.

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よく見ると,黒い土のうのようなものの下に,組み立てた軌道(軌きょう)が既に置かれているように見えるが,これはどういうことだ?????

航空コンテナがあるなら新幹線コンテナがあってもいいじゃないか

・・・と,いつも思う.

東海道新幹線が計画された際に(方便だとは良くいわれるが)貨物電車を走らせて,いわゆる国鉄コンテナを東京−大阪間で輸送しようという計画があった.そのための風圧試験も行われて,150キロ運転くらいまでなら何とか使えそうだが,それ以上は転倒しそうだということで,解決が先送りになっている.

東海道新幹線貨物列車は,夜間に150キロ運転で東京−大阪間を結ぶという話が一応あったが,皆がよくご存じのように夜間は保守作業に充てられ,実現はしていない.

その後,放置されていた課題は青函トンネルの貨物列車と新幹線の風圧問題へと,50年の歳月を経て繋がるわけだが,そもそも裸のコンテナを積載して走らせるから問題なわけで,車体内に収納するコンテナならばさほど問題ないはずである.

ボディ内に収納するコンテナといえば,これ.

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そう,航空コンテナである.いくつかのサイズの規格があるが,標準的なサイズのものはそのまま新幹線の車体内にも収まりそうなサイズである.

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TGV郵便列車のような専用車両で,車内に航空コンテナを収容させて走らせれば高速走行でも何の問題も無いと思うのだが,ダメかな.既にある技術の組合せで実現できるので,割と簡単に実現できると思うのだが.

後押ししますよぉ・・・

・・・貨物列車の.

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山陽本線は言わずと知れた西日本の重要幹線である.その昔,民間鉄道の山陽鉄道によって建設されたわけだが,建設途上から段々と資金が足らなくなり,西に行くほど線形が悪く,広島あたりではカーブもきつければ勾配もきついという状況になってしまった.

そんなわけで,重い貨物列車などが通るときには昔から後押し機関車が付く.昔は黒い蒸気機関車,今は赤い朱色の電気機関車である.

写真は坂を上り終えた貨物列車のお尻にくっついていた機関車が外されたときにものであるが,まさか建設後100年以上も後押し機関車が活躍することになろうとは,当初の建設に携わった方々は想像だにしなかっただろう.

重要インフラの設計規格は重要,という例であろう.

初夢鉄道(北海道新幹線編)

第三夜なので,もはや初夢というべきかどうかはともかく,こんな夢を見た.

2014年度終わり頃になって北海道新幹線の開業前倒しが決まり,その当時は2030年頃に開業することになった.その当時は,と書いたのは実はさらに伏兵があったわけである.つまり,オリンピックである.2026年の冬季五輪に札幌が手を上げたわけであるが,冬季五輪は元々候補が少なく,昨今の開催費の負担に耐えられない都市が多くなったことが重なって,東京五輪6年後であるにもかかわらずあっさり札幌に決まった.そういえば前回の札幌五輪も東京五輪から8年しか経っていなかった.そう,オリンピック開催が決まったことでさらに全線開業が前倒しになったわけである.全線開業は2025年の秋であった.

札幌-東京間は1000km以上もあり,新幹線といえども航空からか客を奪うことが難しく,経済合理性の観点では函館延伸も札幌全線開業両方とも,航空と同程度のサービスレベルを提供するのがやっとで交通サービス水準を向上させたとは言えず,厳しい状況であった.そこで,函館延伸には「背骨」理論でPRし,全線開業にはオリンピックを持ってくるという作戦だったわけであるが,開業しても所要時間が長いことは否定できなかった.そこでいくつかの案が検討され,実際に実行された.

一つ目は速度の向上であった.新幹線電車そのものは350km/h運転できるようにブレーキ系統を中心に改良が行われ,同時に盛岡以北の整備新幹線区間の260km/h運転の縛りを緩めることが検討された.結局,盛岡以南と同レベルの騒音ならば260km/h運転にこだわらないということになり,首都圏を脱したあたりから札幌までの350km/h運転が実現することになった.

もう一箇所,問題があった.青函トンネルである.在来線の貨物列車が走っていたため,新幹線が高速走行しているとすれ違い時に貨物列車が風圧で転倒する危険があったため,新幹線は140km/h運転になっていた(まぁ,もっとも,貨物が無くても連続勾配があるので,昔の新幹線電車だとブレーキの関係で160km/h運転程度が見込まれていたわけだが).当初は信号システムの改良とダイヤの調整で一部列車が260km/h運転していたが,大半の列車が減速運転せざるを得ず,オリンピックを機に北海道と本州の間の交流が活発化したため抜本的改善が望まれるようになった.

そこで,もう一本トンネルを掘る案が出てきたが長大海底トンネルは工費が高い.そこで,新型の新幹線電車が走ることを前提に勾配をきつくして,トンネル延長を短くすることになった.30‰勾配が採用されたため,トンネル延長は元の54kmから35km程度へと大幅に短縮された.元のトンネルについても在来線貨物列車だけ走らせるだけではもったいないという話になり,新幹線用の広軌線路を使用してカートレインも運行されることになった.これに伴い旧トンネルは国道指定されることになり,旧トンネルを道路財源で買い取った形となってそれが新トンネルの建設財源になっている.今や青函旧トンネルは国道5号の一部であり,国道5号の起点は函館から青森に移された.新幹線が通れるトンネルが2本になったことで夜間運転が実現し,新幹線を経由する北海道行き夜行便が復活した.

北海道新幹線は計画としては旭川終点であるが,さすがにフル規格は厳しいという話になり,道内幹線鉄道計画は大幅に見直された.主要路線は新幹線と直通する三線軌でミニ新幹線が函館以北の北海道新幹線と直通し.三線軌でない区間は寒冷地仕様のFGTが直通している.こうして道内幹線鉄道網は一新された.

・・・と,ここまで見たところで目が覚めた.