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耳つき?

いつもの電車がやってきた…が,なんか変なものが付いている.

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耳つき? 耳というよりは口元に両手を添えている感じか?

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連結面間にホームから転落する人もいる.目が不自由だったり,酔っていたり.

運転席の無い連結面間なら板を付けると良いが,運転席のある先頭車同士が頭を突き合わせる部分はどうするのかと思っていたら,結局こういう解なのね.

後付けだと何かとデザイン的に難アリになるので,最初から織り込み済みの設計にするという手もある.例えば,極端なのだと,こういうのもあるぞ.連結するだけで,転落防止も通路もセット完了.

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#チャウチャウ犬ではありませんので,念のため.

複線化を→話進まず

大都市から離れると,線路際でよくこういったスローガンを見かける.

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日本全国で複線化や電化を目指している鉄道線は多い.

じゃぁ,(米国はダメダメだが)欧州はというと,余程でない限りローカル線であっても複線化や電化はほぼ実現されている.少なくとも特急や急行相当の列車が走っているようなところで単線非電化にはお目にかかったことが無い.

この差はどこから来るかというと,ほぼ「カネ」である.ちゃんと財源が確保されているということ.日本でいうところのガソリン税相当の税金がちゃんと公共交通に還元されており,ローカル線の複線化・電化・路線改良・新車購入といったインフラ投資にまわっているのはもちろんのこと,日々の運営費にも資金が投入されている.

一方,日本ではガソリン税は「自動車ユーザー」という名のニアリーイコール国民の利用する道路投資にまわされていた.その道路すら,今や一般会計を通して投資されるようになり,ガソリン税は単なる普通の税金になってしまった.

インフラ投資しないと,後々困るぞ.いつまでも使えると思うな,何とやら.

なお,JRに期待する声は多いが,近年JR各社が自ら進んでローカル線に単独投資した事例はほとんどない模様.

LRTでよく見る意外な設備

それは「警報器」.

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日本の踏切のように「カンカンカン」とは鳴らないが,トラムが近づくと一つ目のランプが赤く点滅する.

フランスの他に,ドイツやスウェーデンでも見たことアリ.

何でもかんでも「LRT=トランジットモール」ではなくて,要はTPOということ.危ないと思えば警報器も付けるし,大丈夫だと思えば混合交通にもするということ.

 

1931年の旅人(トキオ1655着)

1931年の旅人の長い旅は終わろうとしているが,旅程の最後の部分がナゾである.この部分を当時の日本の時刻表で解き明かすと次のようになる.資料はこれだ.

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鐵道省編纂汽車時間表(日本旅行協会)昭和5年(1930年)10月号.1931年ではないが,大きくは違わないはず.

まずは,哈爾浜から長春まで.寝台車食堂車つきの5列車というのがあり,哈爾浜を18日目の09時15分発で1931年の旅人の持っていた時刻表の表記と同じである.長春15時43分着.

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続いて,長春16時20分発の急行14列車(右側の急行)が見つかった.*印が付いているので5列車とは乗換になっている.奉天22時25分着.

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さらに,奉天22時50分発の釜山行き2列車(右端)が見つかった.この時代にはまだ「ひかり」の名称は付いていないようだ.安東という満州と朝鮮の国境の駅に翌19日目の07時00分着.

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そのまま安東を08時50分に出発して,途中,平壌が14時18分着,京城(ソウル)が20時50分着である.(ここから先,太字は午後)

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さらに,京城を21時05分に出て,終着駅の釜山には20日目の08時30分に着く.ここまで1931年の旅人の持っていた時刻表の時刻と完全一致である.

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その後,上の時刻表の最下段に釜山-下関間の連絡船の時刻も載っており,釜山10時30分発,下関18時30分着となっている.ついに本州着.

そして旅人が最後に乗った列車はこれだ.

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中央の下関 20時30分発,特別急行「富士」,東京は21日目の16時55分.着いた!

この1931年の旅人の特徴は…

  • 鉄道好き…当時は日本郵船の欧州航路があった
  • お金持ち…わざわざ一等車しかない列車を選んでいる
  • 出入国自在…シェンゲン条約すら無い時代なのにいろんな国に出入りできる
  • たぶん日本人

…ということで,1931年当時なら外交官あたりか?.なお,この1931年のトーマスクックの時刻表を手に入れたのは,山形県下の(山形市ではない)古書店である.東京に着いた後は山形に向かったかもしれないが,もはやそれを知るすべはない

最後に全行程を整理して,ミステリーツアーを終わろう.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835
【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow (Smolenski) 1025
…<乗換>…Moscow (Severnii) 1755 -(車中泊)(シベリア鉄道)
【10日目】-(車中泊)-(キーロフ付近)
【11日目】-(車中泊)-(エカテリングブルグ付近)
【12日目】-(車中泊)-(オムスク付近)
【13日目】-(車中泊)-(クラスノヤルスク付近)
【14日目】-(車中泊)-(イルクーツク付近)
【15日目】-(車中泊)-(満州方面に分岐)
【16日目】-(車中泊)-(台車交換と国境検問)
【17日目】-(車中泊)- 哈爾浜 0835(満州国国有鉄道浜洲線)
【18日目】哈爾浜 0915 – 長春 1543(5レ)
…<乗換>…長春 1620 – 奉天 2225(急行14レ奉天行)
…<乗換>…奉天 2250 – (車中泊)(急行2レ釜山行)
【19日目】-(車中泊)- (平壌,京城経由)
【20日目】-(車中泊)- 釜山 0830
…<乗換>…釜山 1030 – 下関 1830(関釜連絡船)
…<乗換>…下関  2030 – (車中泊)(特別急行2レ「富士」東京行)
【21日目】-(車中泊)- 東京 1655 //

そろそろ冬休みも終わっているはずなので,お仕事お勉強を再開しましょう.

1931年の旅人(ハルビン0915発)

1931年の旅人はとうとうソ連も通過して満州国まで来てしまった.もはや日々の旅程を整理するだけでも大変だ.いいなぁ,シベリア鉄道.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835
【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow (Smolenski) 1025
…<乗換>…Moscow (Severnii) 1755 -(車中泊)(シベリア鉄道)
【10日目】-(車中泊)-(キーロフ付近)
【11日目】-(車中泊)-(エカテリングブルグ付近)
【12日目】-(車中泊)-(オムスク付近)
【13日目】-(車中泊)-(クラスノヤルスク付近)
【14日目】-(車中泊)-(イルクーツク付近)
【15日目】-(車中泊)-(満州方面に分岐)
【16日目】-(車中泊)-(台車交換と国境検問)
【17日目】-(車中泊)- 哈爾浜 0835(満州国国有鉄道浜洲線)

次は…もうこうなったら,そりゃぁそうだよね.

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哈爾浜を朝9時15分に出て,途中Changchun(長春)が15時43分,22時25分にMukden(奉天),今の瀋陽に着く.哈爾浜-長春間が満州国国有鉄道京浜線,長春-奉天間は南満州鉄道連京線と言ったようだ.ご存じのように,この時代の中国北東部は満州国だった.

下の方に目をやると,その先の経路も赤印がある.最終行程はこうだ.

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奉天からChosen Manchuria Express (朝鮮満州急行?)という列車に乗っている.この時代の優等列車としては「大陸」「興亜」があるが,これらは1930年代後半の設定であり,1931年当時に走っていたのは「ひかり」か?

そして最終目的地は,Tokioつまり東京だ.この旅人は21日目の夕方に東京に着いたわけである.

【18日目】哈爾浜 0915 – (車中泊)
【19日目】-(車中泊)-(ひかり号で朝鮮半島南下?)
【20日目】-(車中泊)- 釜山 0830
【21日目】釜山- ??? – 東京 1655

最終日の経路は,この時期の日本の時刻表を見ればわかるはずなので,次回はその解き明かしと,全体行程の再確認をしてみよう.

1931年の旅人(モスクワ1755発)

ロンドンを出発して9日目,とうとうソ連に突入してしまっている.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835
【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow 1025

さすがに,もう帰るよね.次は…

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うぉぉぉぉ,キターーーーーーーーーーーー.シベリア鉄道!!!

ベルリンが火曜,ワルシャワが水曜,モスクワには木曜に着いてその日の17時50分に出発すると,そこから先は金曜13時13分にViatka(現在のキーロフ),土曜08時04分にSverdlovsk(現在のエカテリングブルグ),日曜03時46分にOmsk,月曜10時35分にKrasnoyarsk,火曜12時50分にIrkutsk,水曜14時39分にKarymskaya,この駅はシベリア鉄道と満州方面への鉄道との分岐地点のようだ.そして木曜02時35分にManchuriaつまり国境の満州里,ここで8時間半も停車している.国境検問と台車交換だろう.金曜08時35分にHarbinつまり哈爾浜(ハルビン)に着く.国境から哈爾浜までは満州鉄道浜洲線,満鉄だ.

所要時間は1週間と14時間45分.銀河鉄道999みたいな表記だな.カナダの大陸横断鉄道に3日3晩乗ったことがあるが,それをはるかに超えるモスクワ発シベリア鉄道経由哈爾浜行き.(今ならシベリア鉄道のボストーク号か?)

【9日目】(車中泊)- Moscow (Smolenski) 1025
…<乗換>…Moscow (Severnii) 1755 -(車中泊)(シベリア鉄道)
【10日目】-(車中泊)-(キーロフ付近)
【11日目】-(車中泊)-(エカテリングブルグ付近)
【12日目】-(車中泊)-(オムスク付近)
【13日目】-(車中泊)-(クラスノヤルスク付近)
【14日目】-(車中泊)-(イルクーツク付近)
【15日目】-(車中泊)-(満州方面に分岐)
【16日目】-(車中泊)-(台車交換と国境検問)
【17日目】-(車中泊)- 哈爾浜 0835(満州国国有鉄道浜洲線)

ユーラシア大陸を横断してしまった.ということは…?

1931年の旅人(ワルシャワ0710発)

ついに放浪8日目である.1931年の旅人はどこへ向かっているのか.1週間の経路は北から南,南から北,そして東へとどう見ても放浪しているようにしか見えない.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)
【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835

さて,次はワルシャワ発の経路で印が付いているものを探すと,えっ,これだ.行けるのか?

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実質左端の1本しか列車がない.ワルシャワ朝7時10分発,モスクワ翌日10時25分着の急行列車だ.国境のNegorelojeという駅で中央ヨーロッパ時間から東ヨーロッパ時間に切り替わるとともに,3時間近くもの停車になっている.ロシアの入り口でもある.1931年だと既にベラルーシはソ連に加盟していたと思うので,国境検問が厳しいのはもっと手前のはずだが,どうしてこんなに長時間停車しているんだろうか.

ポーランドは軌間1435mmの標準軌,ベラルーシとソ連は軌間1520mmの広軌なので,どこかで乗換えさせるか客車の台車交換をしているはずなのだが,この時刻表だけではよくわからない.Negorelojeで台車交換しているのではと考えてみたが,この国境はベラルーシとソ連の間の国境である.ベラルーシは1800年頃までにロシア帝国の占領下に入り,1871年にワルシャワ〜(ベラルーシ)〜モスクワの鉄道が完成した後,第一次世界大戦でドイツの占領,独立などを経て1922年にはソ連に加盟しているので,最初からベラルーシは広軌鉄道だろう.ということで,単なる厳しい国境か?

ついに社会主義国のソ連に突入してしまった.この旅人は自由に国境を出入りできるような人だったのか?

スパイ?
スパイにしては足跡残しすぎだが…

【8日目】Warsaw 0710 – (車中泊)(国境で標準軌→広軌の台車交換?)
【9日目】(車中泊)- Moscow 1025

#2017/4/9追記
Negorelojeはベラルーシとソ連の間の国境ではなく,Minsk郊外の地区名のようである.Minskまでは標準軌で走行し,Minskで台車交換をするらしいと言う話もあるし,国境のブレスト中央駅構内で交換するという話もあるし,イマイチ正確な情報は不明.

1931年の旅人(ベルリン0843発)

1931年の旅人の放浪7日目である.以下がこれまでの推定経路だが,「乗り鉄」と断言してもいいのではないかと思う.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)

次の行程はベルリン発だ.そろそろ帰路につくかと思いきや…あった.これだ.

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ん?
ワルシャワ?…あれ?…昨日ポーランドをわざわざ遠回りしてベルリンまで来たのに,ワルシャワに行くなら昨日の行程の途中で降りて乗り換えた方が早かったのでは???

ベルリンを朝8時43分に出て,ワルシャワには18時35分着.よく見ると左隣に急行(EXP)が似たような時間帯に走っているのに,わざわざ値段の高そうな贅沢(luxe)列車に乗るわけね.きっとこの旅人はお金持ちだったんだ.

途中経路はさほどめぼしいものはなくて,ほぼ真っ直ぐ東である.ベルリンに行くのが遠回りだったと思ったが,ベルリン自体が遠回りなのね.しかし,なぜワルシャワ?

そういえば,数年前にアムステルダムから乗った列車はベルリン経由で行き先はワルシャワだった.時間的にはアムステルダムが夕方発,ベルリンが翌朝だったので,この1931年の旅人が乗った列車の「末裔」の列車だった可能性が高い.

さらに,このアムステルダム発の列車に連結されていた一部の客車は,さらに東のミンスク(ベラルーシ)行きという列車だったが,上の時刻表に「Stolpce」という駅名が見え,これはミンスクの50-60kmほど手前の都市のようだ.(そして,終着駅のNiegorelojeという駅は,ロシアとの国境手前の駅のようだ.)ますます「末裔」の列車だった可能性が高い.

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ということで,行程はこうなった.今ならこんな経路

【7日目】Berlin (Friedrichstraße) 0843 – Warsaw 1835 (今日は珍しく単純な移動)

 

1931年の旅人(ウィーン1010発)

1931年の旅人の欧州放浪の旅6日目である.これまでの推定経路はこうである.夜行便に乗っているので,実はすでに6日目に突入している.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315
【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>…Venice 1540 – (車中泊)
【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)

ウィーンに朝着いた.次はどこへ行くのだろうか? あった.これだ.赤い印の列車の時刻は,下から上へと見てゆく.

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夜行列車でウィーンに着いたら,滞在もそこそこに,10時10分発の列車に乗っている.次の目的地はベルリンだ.ドイツの首都.まだ第二次大戦前なので,ドイツは分断されていない.

この列車の経路はやや複雑だ.ウィーン(Vienna)を出て,そのまま北に向かってプラハ経由でベルリンに向かうかと思いきや,5時間後の15時36分発になっているBohuminはウィーンの北東方向のチェコの都市であり,ポーランド国境の都市だ.もちろん,プラハ経由でベルリン行きの列車も走っているが,そういうチョイスではないようだ.

さらに進んで,18時6分着のBreslauは現在はポーランドの都市であり,ここでほぼ真西のドレスデン方面行きと北西方向のベルリン行きに列車が分割(あるいは乗換)される.この都市のある地方はドイツ領だったりポーランド領だったりしたところかな?ベルリン方面行きは18時13分に出発し,この後は北西方向に真っ直ぐ進んで22時47分着である.

ということで,6日目の行程はこうなる.都市での滞在がほとんど無く,乗ることだけが目的のような行程である.

【6日目】(車中泊) – Wien (South) 0731(世界遺産センメリング鉄道経由)
…<乗換>…Wien (Nord) 1010 – Berlin (Friedrichstraße) 2247 (なぜかポーランド経由)

まだ,1931年の乗り鉄の旅は続く.

1931年の旅人(ローマ0010発)

1931年の旅人の旅程5日目である.これまでの経路はこうであった.

【1日目】London (Victria) 1100 – Paris (Nord) 1810 (ドーバー海峡連絡船)
【2日目】Paris (Lyon) 1100 – Geneve 2115 (PLM線経由,国境検問あり)
【3日目】Geneve 1022 – Milano 1802 (シンプロントンネル経由)
…<乗換>…Milano 1950 – (車中泊)
【4日目】(車中泊) – Rome (Termini) 0815
…<乗換>…Rome (Termini) 0905 – Napoli 1315(日帰りナポリ往復)
…<乗換>…Napoli 1833 – Rome (Termini) 2315

次はローマ発の行程を探す.これだ.

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次はVienna,つまりウィーンだ.ローマを0時10分に出発,ウィーンに朝7時31分着.つまり再び夜行便だ.まともな宿泊をしようとしていない.正に「乗り鉄」の発想である.ボローニャを通過するのが翌朝,昼12時50分にはベニスに到達するが,ここで3時間ほどの間を開けて,乗り換えるようになっているようだ.Mestreで降りてもいいが,あんなところで降りても大したものもないので(今ならゴムタイヤトラムが走っているが),ベニスまで行っただろう.

ベニスを15時40分に出ると,進路を北西方向にとり,ウィーンに翌朝7時31分に着く.車中2泊目だ.体がかゆくならなかっただろうか.

この列車は別のページにも時刻が掲載されている.下から上にたどる.

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これによると,ウィーンに到着する前に「Semmering」という文字が見える.どうやらこの列車は,今や世界遺産登録されているゼメリング鉄道を通過するようだ.(冬場の早朝なので,車窓はほとんど見えないかもしれないが…)

さて,経路を整理すると,下のようになる.今ならこんなルート

【5日目】Rome 0010 – Venice 1250…<乗換>
…Venice 1540 – (車中泊)(世界遺産センメリング鉄道経由)